仙台高等裁判所 昭和25年(ネ)68号 判決
被控訴人が昭和二十二年八月三十一日附岩手ろ第九一二号令書を以て、岩手県二戸郡一戸町大字一戸字大沢八十六番畑六反三畝十五歩のうち、控訴人が野里善吉から返還を受けた約七畝歩、根反市太郎から返還を受けた約一反歩、駒木某から返還を受けた約三畝歩、以上合計約二反歩(控訴人が自作してきた分)の買収処分を取消す。
控訴人のその余の請求を棄却する。
訴訟費用は第一、二審を通じ当事者双方の各自弁とする。
二、事 実
控訴代理人は「被控訴人が昭和二十二年八月三十一日附岩手ろ第九一二号令書を以て主文記載の畑六反三畝十五歩についてした買収処分を取消す、訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。
当事者双方の事実上の主張は、控訴代理人において、
一、本件農地の買収令書が控訴人に交付されたのは昭和二十二年九月十九日である。
二、控訴人は二戸郡一戸町に生れたものであるが、大正三年頃台湾に渡り警察官として同地総督府に約三十年勤務した。相当の年令に達したので昭和十九年頃退職して郷里一戸町に住所を定めることにしようとしたが当時既に内地との交通は絶たれ、その実現をみないうちに終戦となつた。その後控訴人は生業もなく、収入は皆無となり貯金は費消し、年令上からして就職の見込もないので一戸町に帰住して郷里の実兄野里善吉に保管を頼んでいた本件の畑及び同時に買収された数筆の農地を小作人から返してもらつて、一家(夫婦と子女四人計六人)の生計を立てることを決意したのである。
三、控訴人の長男秀一、次男秀俊は終戦当時内地で軍務に服していたので、秀一は昭和二十年九月一日秀俊は同年九月十日復員して一戸町に住所を定め、その頃控訴人の実兄善吉から本件畑のうち同人自ら管理耕作していた約七畝歩の返還を受け、これを耕作して、両親弟妹の引揚に備えたのである。右七畝歩の農地に関する秀一、秀俊と控訴人との法律関係を賃貸借又は使用貸借とみることは事実に即するものではない。
四、控訴人の在台中控訴人所有の全農地は実兄善吉が管理していたのであるが、本件畑のうち善吉自ら耕作していた前記七畝歩以外は根反市太郎、駒木某等に賃貸小作させていた。そこで控訴人は前記の事情から、昭和二十一年四月中根反の小作地約一反歩につき、また昭和二十二年四月中駒木の小作地約三畝歩につき同人等に控訴人の事情を諒解して貰い同意解約の上返還を受け、爾来これを自作して今日に至つている。
五、以上の次第で、控訴人は終戦前から帰郷の上は一戸町に住所を定める意向であつたが、終戦と同時にその決意を堅め、長男、次男は既に昭和二十年九月復員帰郷し控訴人の意を体して一戸町に住所を定め、控訴人も二十一年三月引揚以来素志に基き一戸町に住所を定め、長男、次男等と同居するに至つたのであるから、基準日当時控訴人が不在地主であるとする見解は不相当で、本件の買収は違法である。
六、仮に控訴人が基準時当時不在地主であつたとしても、本件畑のうち控訴人の実兄野里善吉の耕作していた前記七畝歩は基準時当時小作地でないし、小作人根反及び駒木から返還を受けた前記合計一反三畝歩についても、控訴人は他に農耕地を所有せず、混食用の雑穀野菜にも窮する実情で小作人も引揚当時の控訴人の窮情を諒とし返地してくれたものであつて、右小作地の賃貸借は合意の上適法且正当に解約せられたものである。しかもこの耕地を買収取上げられるときは控訴人の生活状態は小作人のそれに比べ著しく惡くなるのである。これ等の点につき何等判断しないでした本件の買収は少くとも右二反歩については違法である。
七、被控訴人の後記二の主張事実中、根反市太郎、駒木某がいずれも専業農家であること、控訴人が一戸町長の公職にあつたことは認めるが、本件の畑を根反、駒木等において賃借した時期、同人等の耕作反別、及び家族関係等は不知、その他の事実は争う。
と述べ、被控訴代理人において、
一、本件畑のうち約七畝歩を控訴人の実兄野里善吉が管理耕作していたこと、控訴人が本件畑の小作人根反市太郎から約一反歩、同じく駒木平八郎から約三畝歩を返させたことは認めるが、合意解約の点は否認する。右根反及び駒木からの返地の時期はいずれも昭和二十二年四月中であり、且それにつき知事の許可を受けていない。控訴人が昭和二十一年三月台湾から一戸町に引揚げたことは認めるが、控訴人の長男、次男の復員帰還の点は知らない。買収令書交付の日時の点は認める。
二、本件の畑は根反市太郎方では約七十年前から、また駒木平八郎方では約三十年前から賃借耕作してきたもので、根反の耕作面積は田畑合計約九反八畝歩、家族六名、内稼働人員四名、馬を飼育し、駒木の耕作面積は田畑合計約一町歩、家族七名、内稼働人員六名、牛を飼育し、共に専業農家である。これに反し、控訴人は終戦後一戸町長の公職にあり、その子女は全部勤め人であつて、かつて農業の経験がなく、一戸町に帰つてからも自ら主となつて耕作に従事したことはない。他人を雇つて耕作している実情であり、控訴人の方で耕作したのでは決して農業生産の増強を期し得べきでない。
また本件畑を買収しても控訴人の生活に著しい影響を与えるものではない。されば本件の農地について仮に控訴人と小作人との間に合意解約が成立したとしても農地解放の精神に照せば右解約は決して正当であるとはいえない。
と述べたほか、原判決事実摘示と同じであるから、ここにこれを引用する。(立証省略)
三、理 由
控訴人の所有であつた本件の畑六反三畝十五歩につき右農地が昭和二十年十一月二十三日現在、不在地主の小作地であつたとして、いわゆる遡及買収計画が立てられ、これに基き被控訴人が昭和二十二年八月三十一日附の買収令書を同年九月十九日控訴人に交付して右畑の買収処分をしたことは当事者間に争がない。よつて以下右買収処分が違法であるとする控訴人の主張について考察する。
一、控訴人は基準時において不在地主でなかつたか。
控訴人が永く台湾に在つたが、昭和二十一年三月内地に引揚げて一戸町を住所とするに至つたことは当事者間に争のないところであつて、成立に争のない甲第一、二、三号証、原審及び当審証人野里善吉の証言並びに本件弁論の全趣旨を綜合すると、控訴人は、二戸郡一戸町の出身であつて、大正三年頃台湾に赴き、警察官として奉職し終戦当時に及んだもので、その間郷里一戸町に本件買収の対象となつた畑六反三畝余のほか田約五反余を買受け退官帰郷の際の生活に備えたのであつたが、右田畑の管理は一戸町に在住する長兄野里善吉に託し、両人は本件畑のうち約七畝歩を同人自ら耕作していたほかは、すべて他に賃貸小作させていた。控訴人の長男秀一(大正十二年一月生)及び次男秀俊(大正十五年九月生)はいずれも戦時中応召し、長男は海軍技術少尉として、次男は二等兵曹として服務していたが、終戦後間もない昭和二十年九月一日から十日頃までに相次いで復員し控訴人の郷里一戸町の右野里善吉方に落着き、控訴人及びその家族の引揚を待つていた。控訴人は前記のように昭和二十一年三月、妻や子供(長女及び三男)と共に内地に引揚げ一戸町に借家して家族と共に居住するに至つた。以上の事実が認められる。終戦後台湾在住の内地人が一般的に内地に引揚げるに至つたことは公知の事実であつて、右認定の事実関係からみると控訴人が少くとも終戦の当時から郷里一戸町に引揚居住する決意をしていたことは十分推測し得られる。しかし控訴人が右のような決意をしていたからといつて、また長男や次男が昭和二十年九月中に既に一戸町に復員帰還していたからといつて、控訴人の住所が昭和二十年十一月二十三日当時、一戸町にあつたとみることは困難であるからして、右基準日当時控訴人がいわゆる不在地主でなかつたとする控訴人の主張は採用し得ない。
二、本件畑のうち約二反歩の買収が違法であるか。
本件畑のうち約七畝歩をかねてから控訴人の実兄野里善吉が自ら管理耕作しておつたこと、また本件畑のうち根反市太郎の小作していた部分を約一反歩、駒木某の小作した部分を約三畝歩、控訴人が遅くとも昭和二十二年四月中右各小作人から返させて、その頃以来自作してきたことは当事者間に争のないところである。成立に争のない甲第四号証、前記証人野里善吉、当審証人根反市太郎、中島吉郎の各証言を綜合すると、野里善吉は控訴人の長男及び次男が復員帰還した昭和二十年九月頃、控訴人も近く引揚帰郷するであろうことを予想し、善吉自ら耕作していた前記約七畝歩を右控訴人の息子に耕作させることとし、控訴人帰還後は控訴人が自作してきた。また本件畑六反三畝余から右善吉の耕作していた部分を除いた残余のうち、二反一畝歩は駒木某が、二反三畝余は根反市太郎が、一反三畝歩は姉帯清太郎がそれぞれ賃借小作していたのであるが、控訴人は昭和二十一年三月引揚後右小作人根反、駒木等に自己の窮状を訴えて返地を要請し、昭和二十二年四月頃、根反の小作地中約一反歩、駒木の小作地中約三畝歩につき各小作人から賃貸借解約の承諾を得て返地を受け、爾来これを自作するに至つた。控訴人が買求めて所有していた前掲田五反余は全部買収せられ、畑も本件畑の外には所有しておらず、本件畑が全部買収されてしまうと雑穀や野菜を自給することもできなくなる状態であるが、一方根反の耕作面積は田が二反三畝余、畑が控訴人に返地した分を除いて七反五畝歩、駒木の耕作面積は田が一反六畝余、畑が控訴人に返した分を除いて八反三畝余である。以上の事実が認められ、右の認定を妨げるに足る証拠はない。
而して右認定の事実関係に徴すると、控訴人の兄野里善吉の管理耕作していた前示七畝歩は控訴人の引揚を予想して基準時前に復員した控訴人の子供達に返地されたもので基準時当時は小作地にあたらなかつたものと認めるのが相当である。また根反及び駒木との間の前記合意解約も、当時施行の農地調整法第九条第三項の「解除もしくは解約」には合意による解約を含まない趣旨と解するのを至当とするから、これにつき、知事の許可がなくとも適法性を失わないものというべきであり、なお上来認定の諸般の事情からみて根反及び駒木の各小作地の一部についてせられた前記合意解約は正当であると認めるのが相当である。尤も控訴人は一戸町に引揚げて後、同町の町長に当選し町長を勤めていたことは控訴人の認めるところであつて、また前掲各証人の証言によると、通学中の末子(三男)を除いて他の子供はそれぞれ他に就職しておること、控訴人は昭和二十六年八月頃病気のため町長を辞したことが認められるが、かような事情はいまだ以て前示合意解約の正当性を否定するに足りない。
本件買収処分当時に施行されていた自作農創設特別措置法(昭和二十一年法第四三号)には、昭和二十二年法第二四一号を以て改正された第六条の二乃至同条の五のような規定はなく、遡及買収については右法律第四三号の附則第二項、同法施行令第四十三条乃至第四十五条によつて処理されていたのであるが、右改正法第六条の二第二項各号は遡及買収を相当としない場合の具体的基準を明確にしたものであつて、少くとも右第六条の二第二項列挙の各号に当る事由のある場合は改正前の附則第二項の下においても遡及買収を「相当と認めるとき」にあたらないものと解するのが相当である。
従つて前認定のような事由のある場合は旧法の下においても遡及買収を相当と認めたことは違法たるを免れないものというべきであるから、本件畑のうち控訴人の自作してきた前記合計約二反歩の買収は違法であつて、控訴人の本訴請求は右の部分の取消を求める限度においてこれを正当として認容すべきである。しかし右約二反歩以外の部分の買収処分の取消を求める請求は理由がない。
控訴人の請求全部を排斥した原判決は一部失当で、本件控訴は一部理由がある。よつて民事訴訟法第三八四条、第三八六条、第九六条、第九二条により主文のとおり判決する。
(裁判官 谷村仙一郎 村木達夫 石井義彦)